コラム第7回 尼崎脱線事故を語る。

2005.4.25 AM9:18 JR宝塚線(福知山線)塚口-尼崎間にて起こった、
記憶にも新しい大きくて痛ましい事故。
運転手を含む107名の方がなくなりました。
まずは、この場でご冥福をお祈りします。


ここからは、私の立場だけ書きます。あらかじめ、ご了承ください。

2005.4.25 始めてこの事故を知ったのは、
学校の授業中でした。
情報の時間でたまたまインターネットを使った授業をしていました。
最初は、「あ、脱線したんだ・・・。」と思っていましたが、
時間がたつにつれて、被害がどんどん大きくなっていっていたのです。
そのとき、私は高校3年、受験という時期を迎えていました。
まさか、自分が半年後、あの現場を通るとは、まったく思っていませんでした。


2005.10.1 事故からおよそ半年、
私は受験する学校のオープンキャンパスがあるため、
その学校へと行ってきました。
・・・もちろん、初めて行くわけなので、
私のお父さんと一緒に学校へ行きました。
(ただ単に、まったく知らない私も悪い・・・。)
英賀保から新快速に乗って尼崎まで。
尼崎から普通に乗り換えて猪名寺まで。
尼崎を出て2分ほどすると、事故現場のマンションがありました。
行きはよく見えなかったので、
帰り、よく見える位置に座ってまじまじと見ていました。


2006.4.3 見事、合格した私は、
この路線を使って通学しています。


2006.4.25 -脱線事故から1年-
この日は朝から授業で、いつもの通りの便に乗り、
学校へと向かいました。
事故現場付近で、車掌がアナウンス。
私も、犠牲者のために黙祷をささげました。
・・・2度と、こんな事故が起こらないように。
帰りは、何事も無かったかのようにすごしました。


無事に1年を終えた私は、
新学年での授業もスタートしました。
関西圏ではとても大きな事件(事故)だったと思います。
・・・今年は、授業が無い、「あの事故の日」に、
私は就職活動のため、行くことができませんが、
今年も黙祷をささげようと思います。


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